無意識に示される意思の厄介さについて

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 風呂から上がり、暖炉の前である程度髪を乾かしてから寝室へ入ると、獅子の仔は既に布団にくるまって、わずかに見事な金色の髪を覗かせているような状態だった。ベッドサイドのランプは絞られもせずに灯ったままで、本来の部屋の主が戻ってくるのを待っていた。その揺れる火に照らされて、枕に広がる金色の髪が獅子の鬣のようにも見える。

 ディアラスは眠っている子どもを起こさないように静かにベッドへ近づいて、ランプを消した。ふっと部屋の中が暗くなるが、傍らの布団に滑り込むのには何の支障もない。寒くないようにと慎重に布団の端を持ち上げて入り込むと、闇の中でも鮮やかな金の髪が揺れて、くぐもった唸り声が漏れる。

「ディア」

 寝ぼけているせいか、その舌足らずな発音が初めて彼がそう呼んだ時を彷彿とさせる。もう、三年前。いや、まだ三年しか経っていない。

「おやすみ、レオ」

 ベッドの中央に陣取っている彼の側に寄り頭を撫でてやると、上向いていた体をころりとディアラスの横たわっている方に転がし、やはり獣を思わせる仕草でその手に頭をすり寄せた。半分以上は夢の中だろう。その夢うつつの中でさえ、安心できる場所を求めて手を伸ばしてくるのだ。その手は傍らに横たわったディアラスの腰を捕まえて、自分の方へ引き寄せようとする。

 ディアラスはその手に抗わず、彼が近づきやすいように寝台の上で自らも身を横に倒した。枕に顔を埋めていた少年は、満足そうな息を漏らして一層ディアラスに身を寄せると、しばらくもぞもぞと居心地のよい体勢を探していたが、やがて身を少し曲げると、額をディアラスの胸元に押し付けるようにして落ち着いた。もちろん、そんな体勢だから頭の天辺に近い端しか枕には乗っかっていないし、ディアラスからすると、ちょうど顎の下をかすめる髪がくすぐったい。

 物理的に身を寄せているから、子どもの体温は湯上がりの自分と同じくらい温かかった。しかしそれとは違う熱も感じられる。しっかりと腰に回された手と同じくらいの拘束力を持った力。直情的で、攻撃的な炎のブライト。何も分からない赤子が母親の腕を欲するように、無意識のうちにもディアラスを離さまいとしているような。彼も当初よりは大分周囲と打ち解けて、ディアラスとの距離もかつてほど近いものではなくなってきていたから、ここまで強い拘束力を感じるのは久しぶりだ。本当に、まるで三年前に戻ったかのようだった。

 この子を置いて、王都へと出掛けることを決めてから、こうなることは半ば予想されていたことだった。レオンハルトの人間不信はとても根深いもので、本来の性質としてはおおらかに人を信じられる無邪気さを持っているだけに痛々しいくらいだ。彼の不安はすぐにブライトに現れる。だから王都へと向かう自分を、レオンハルトがブライトを無意識に使って追ってきていることは分かっていた。十分に強くなっている今の彼の力なら、湾を越えて王都まで追って来れたはずだ。それでも”遠いから探せなかった”とレオンハルトが感じたのにはわけがある。

 自分を追ってきているレオンハルトのブライトを、ディアラスは意図的に馬から船に乗り換える際に遮断したのだ。彼に気づかれないように細心の注意を払いながら、少しでも不審さを見せないようにさりげなく。もし気づかれたら、レオンハルトの人間不信を決定的に深めてしまうと分かっていたから、正直先程はレオンハルトが距離のせいで辿れなくなったと思ってくれていたことが分かって安堵してしまった。

 能力者同士がブライトを使って会話したり、相手を探したりすることを”遠話”と呼ぶ。通常は感覚を研ぎ澄ませ、精神を集中させなければ困難なものであるから、能力者といえど誰でも行えるものではないし、他人の部屋を勝手に覗くのと同じで、一方的に相手の領域に踏み込んでいくことはマナー違反であると、学院でも入学したての頃に教わる基本的なルールだった。

 しかしレオンハルトは出会った時から、強烈なブライトでディアラスを探ろうとしてきた。マナーもルールも学ぶ機会のなかった彼にとっては、目で”よく見る”ことと、ブライトで”見る”ことは分離できない自然な見方であって、特に誰も信じられる人のいなかった当時のレオンハルトにとっては生きるために必要な能力だった。

 それが分かったからこそ、ディアラスは初めて出会った時からこれまで、レオンハルトのブライトを一切遮断することなく、すべて受け入れてきたのだ。レオンハルトが誰よりも早くディアラスに慣れたのはそのせいだろうと思うし、それまで遠慮なく触れられていたディアラスのブライトが急に見えなくなって、レオンハルトが強い不安を感じたのも当然のことだった。

 それでも、子どもが母の手を少しずつ離れるように、レオンハルトもいつまでもディアラスのブライトに縋っているわけにはいかなかった。”遠話”のマナーを教えていないせいもあって、レオンハルトは基本的に誰に対しても遠慮なくブライトを向けてしまうが、彼の強いブライトは相手を圧倒するし、彼にその気はなくとも相手をねじ伏せる形で働く。学院には肉体的にも精神的にもまだまだ未熟な少年達が集まっているのだから、せめて礼儀やマナーだけでもしっかりとわきまえなければ、無用な争いや対立を招くことになるだろう。

「いくら”なり”が小さくとも獅子は獅子。そしてお前は獅子の”盾”であって、母親ではないのだぞ」

 双子の姉はこの三年間に何度その言葉を口にしただろうか。それを聞く度に、自分達の母でさえ早くに亡くしているのだから、自分に死んだレオンハルトの母親の代わりができるはずがないと思ったのだけれど。それでは一体なんのつもりで。本当のところ、姉が呑み込んだ言葉こそが、本当に彼女の言いたかったことなのだろう。彼女は心配してくれているのだ。そして自分は、その心配を決して笑えない。

 追ってくるブライトを引き離した時に、不安を感じたのはレオンハルトだけではなかった。だからこそ、自立心を育てなければならないこの時にも、今日だけだと譲歩するような言葉で言い訳して、縋りつく手を振り払えないのだ。三年の間にも日に日に強くなるブライトに、時折恐怖心さえ抱きながらも、閉じた目蓋の裏に焼き付く蒼い炎を見つめずにはいられないのだった。


「誰も、オレに、近づくな!!」


 金色の髪を逆立てて、叫ぶ子ども。
 その瞳は発する炎と同じ蒼。


 炎は木々に燃え移り、色を赤や橙に変える。
 激しい炎に巻かれて、男がひとり叫んでいる。
 意味をなさない叫び。
 踊るように炎から逃げようとしているが手遅れだ。
 もはや誰にも助けられない。
 焦げた肉の匂い。黒焦げになって、縮こまった人の影。
 悲惨な光景にも関わらず、喜びに打ち震えた自分の心。
 一方で、強烈な心の動きに戸惑い恐怖する自分もいる。
 だが喜びは恐怖を凌駕した。


「ようやく……見つけた」


 私の獅子──。


   振り絞ったなけなしの理性で、なんとかその言葉は呑み込んだけれど、忘れてしまうことはできなかった。なんという業だろう。

「見つからない方がいいのかもしれないな。仕えるべき相手を選ぶのは自分の意思だと、そう思える方が幸せなのではないだろうか」

 先代の言う通りだったとそう思う気持ちもある。けれど逆に、先代は”自分の獅子”を見つけることができなかったからこそ、そう言えたのだとも思ってしまう。ディアラスはグラデイルの”盾”。青い炎の”牙”に忠実に仕え、命を賭して守り、身も心もすべて捧げることを誓った。

 ディアラスはグラデイル領内の北部を治めるガーデイル家の長男として生まれた。代々ガーデイルの長男は、”盾”としてグラデイル領主の”牙”に仕える。長男が死んだ場合には、次男が”盾”となる。そのためガーデイルは女領主が務めることが多く、現に今はディアラスの双子の姉アリーシャが当主となって北部を治めている。

 先代の”盾”はディアラスの伯父だ。彼は”盾”として、レオンハルトの祖父であり現当主であるライオネルに仕えた。そしてディアラスはその跡を継いでライオネルに仕えている。”牙”と”盾”の関係は、単なる主従関係としても成り立つものだが、そもそもの始まりは、グラデイルとガーデイルの血に受け継がれるブライトにあった。

 グラデイルの蒼き炎のブライト。そしてガーデイルの緑の風のブライト。両者がただ唯一の相手として最初に出会ったのは運命であったのかもしれない。けれどそれを受け継いだ者たちにとっては、肯定的な運命として受け入れられるものとは限らなかった。
 同じブライトを受け継いだ者同士であっても、”ただ唯一の”相手が”現当主”とは限らない。つまりそれぞれのブライトが、”仕えるべき相手”を選択し、”仕えたい相手”を選ぶ人の意思を凌駕するのがグラデイルとガーデイルの抱えた業なのだった。

 先代はブライトが選ぶ”仕えるべき相手”を見つけられなかった。彼と同じ代には、その相手が存在しなかったのだ。そして彼は自分の意思で”仕えたい相手”を選ぶ幸福を得てライオネルを慕い、ライオネルに先立って死んだ。ディアラスにとっても、ライオネルは”仕えたい相手”であって、”べき”相手ではなかった。その息子ルーファルも。だがグラデイルの”牙”としての資質に悩んでいたルーファルにとっては、”盾”のブライトが選ぶ”牙”となれれば悩みは解消され、堂々とライオネルの跡を継ぐことができたのだ。

 けれどディアラスのブライトはルーファルを選ばなかった。いくら誠心誠意仕えても、ルーファルの悩みは解消されず、結局彼は領主としての重圧に耐えきれず、家を捨てた。

 自分さえ、ルーファル様を選べていたら──。

 けれどそれはどうしようもない、ブライトの意思だった。ディアラスのブライトは、ライオネルでもルーファルでもなく、レオンハルトを選んだ。だからこそ、ディアラスは誰よりもこの少年が、家を捨てたルーファルの血縁であることを信じて疑うことがなかったのだ。

 だがまだ人並みに物事を理解することもできていない少年に、この業を押し付けるわけにはいかなかった。ブライトの意思がどうであれ、レオンハルトは自分で”牙”となるかどうかを選ぶ権利がある。彼の父は家を出ることで、その権利を勝ち得たのだと、ライオネルも認めていたし、ディアラスもそう思うから。

 必要以上にレオンハルトを自分の元に留めようとすることは、避けなければならない。それこそ世の母親がいずれ子ども離れしなければならないように。だからこそ、彼を王都の学院へやるのはいい機会だと思う。友達を作り、異性と触れ合い、自分の意思を育てることができる。


 そして育ったその意思で、この業を終わらせてくれないかと思うのだ。自分にはどうしても、できないから。

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